碧柘榴庵

-aozakuro an- ロックと映画と猫を愛する文字書きのブログです。

ロック好き文字書きのジレンマ。

 私は文章を書くことが好きで、他のことに比べればまあ、得意なほうだ。上手いか下手かはわからないけれど、本を読むのは小さい頃から大好きで、これまでに数えきれないほど――ジャンルに偏りはあるが――読んできた。だから、それなりに読む力はあるはずだし、自分で書いているものもあれだけ推敲してそれなりに納得いっているのだから、まったくのド下手糞ではないだろう。と、そう思っている。

 私は音楽を聴くことが好きで、特に六〇年代、七〇年代のロックなどを聴いていると、ああもうどうして自分はこの時代に生まれなかったのだろうと思わず歯噛みしてしまうほどだ。何故かはわからない。わからないけれど、あの日、ラジオで“プリーズ・ミスター・ポストマン”を聴いたそのときから、私の周りのあれもこれもがそんな旧い時代のロックでいっぱいになった――新聞のFM欄に印をつけエアチェックしたカセットテープ、ヴァイナル盤の並んだ棚、コンポーネントステレオの横のCDスタンド。そして今は、Spotify のプレイリスト。時代につれ媒体が変われど、私の聴く音楽はほとんど変わってはいない。ハードロックやオルタナティヴロックなど、ちょっと好きなバンドが増えただけだ。

 はてなに引っ越してきてから、あちこちに飛んでいろいろなエントリを読ませてもらっている。なかには旧いロックなどを取りあげて書かれているものもあって、とても嬉しい気分になる。そして、自然と覚えたのが ☆ をつけるシステムだ。
 気に入ったブックマークコメントや記事に ☆ をつける。他にSNSなどをやっていない私だが、これが『いいね』みたいなものなのだとはすぐにわかった。好きな曲などが取りあげられている記事に、私は嬉々として ☆ をつける。そうするうちにぽつぽつと、たいしたことの書いていない自分の記事にも ☆ がつけられ始めた。おや。私は小首を傾げつつ、思った。これはなにか、そういうマナー的なものなのだろうか。どうもお返しスター、とでも呼ぶべきものであるらしい。他のSNSなどでも似たようなことがあるのか、はたまたはてなユーザー特有のものなのかはわからないけれど。
 そして、少し困った。というか、恐縮してしまったのだ。皆たっぷりの文章でしっかりとした記事を書いておられて、だからこそ私は ☆ を送ったのに、私のほうはと云えば偶に書く独り言以外は、ぺたっと曲を貼っただけなのだ。
 じゃあ自分も貼るだけじゃなく、なにか書けばいい。それはわかっているのだが……だめなのだ。
 私は音楽が好きだ。そして、文章を書くのはまあ、たぶん得意だ。
 自分の大好きな音楽を、文章で紹介する。この曲にはこういうエピソードがあって、この部分の演奏がどうで、こうだから大好きで――私は、それを書くことがどうしても苦手なのである。というか、厭だ。

 巧く書こうとすればするほど、文章は私がその曲を聴いたときの感動や興奮から離れていくからだ。

 では、聴いたときのあの感動を思い起こしてそのまんま書けばいい――なるほど、やってみよう。もうあの、イントロのヂャーンから格好良くて、鳥肌がたって、全身の血液が沸騰する感じで――と、書いててもう厭になってきた。どうやら好きすぎると失語症に陥るらしい。否、いちおうちゃんとそれらしく書くことはできると思う。だが、そうなると今度は『巧くそれらしく書いた音楽レビュー』のようになってしまって、私の想いとはかけ離れてしまうわけだ。
 余所様が書かれているものはいいのだ。そういう聴き方もあるのかと楽しませてもらえたり、歌詞の繊細な解説など、自分では到達できないところの感動をもらえたり、とてもありがたい。
 でも、私に伝えられることは「いいから聴け」くらいなものだ。

 どんなにその音楽の魅力を書いたとしても、たぶんうんうんと読むのはその音楽を既に知っている、好きな人がほとんどなのだと思う。そして、まだその曲を知らない人に魅力を伝えようとするならば、巧みな文章や解説ではなく、音しかないのだ。私が“プリーズ・ミスター・ポストマン”を聴いてその瞬間、電流に撃たれたようなショックを感じたように。

 だから申し訳ない。たくさん ☆ をいただいて恐縮しつつも、私はこれからも好きな音楽は貼るだけで済ませます。でも、ありがとう。