碧柘榴庵

-aozakuro an- ロックと映画と猫を愛する文字書きのブログです。

クロスドレッサーな私とコスプレ的「異性装」

 押し入れから古いアルバムを引っ張り出して、偶に見る。ぴったりとくっついてしまっているページをぺりぺりと剥がしながら捲っていくと、なんとも可愛げのない、仏頂面をした幼い私がそこにいる。小学校の入学式の朝、玄関先で撮られた写真だ。フリルの付いたブラウスにプリーツスカートという恰好の私は、頗る機嫌の悪そうな顔でこっちを睨みつけている。
 ――着せられた服も、赤いランドセルもどっちも気に入らなかったのだ。

 男の子はブルー、女の子はピンク。そんな感覚がいつどこでどうやって植え付けられるのかわからないが、そういう一般的、多数派と思われる側から、私は外れていた。ランドセルは赤より黒――当時は今のようにカラフルな選択肢はなかった――のほうがよかったし、体操服袋は人形の絵が描かれたピンクのじゃなくて、車の柄の青いやつがよかった。が、それは叶わなかった。私の希望を母は、それは男の子のやで、と一蹴した。

 幼い頃のアルバムには、裾が広がったワンピースや、花柄のブラウスや後ろに大きなリボンのついたスカートを身に着けた私がたくさんいる。母はひとりっ子の私をまるで着せ替え人形のようにして、猫可愛がりしていたのだ。わかりやすく云うと、痕が残るからとBCGを受けさせなかったような、そういう可愛がり方である。
 少し大きくなってひとりで家から出るようになり、男の子に混じって神社裏の林で遊んで帰ってきたときのことだ。母は、私のどろどろボロボロ具合に悲鳴を上げた。かなり大きくなってからも偶に恨み言を云われたので覚えている――そのとき着ていた黒地に赤い花柄の、縁にレースの付いたワンピースは髙島屋で買ったものだったそうだ。
 そんな高いものを普段、子供に着せるほうが悪い。いちおう母にもそれはわかったようで、その後はふつうにTシャツにオーバーオールなどの恰好をさせてもらえていた。

 とはいえ、この頃――八、九歳くらいの頃はまだ、それほど服装などにこだわりはなかった。男子・女子という意識がまだあまりなかったからだと思う。私は特になにも気にすることもないまま、ミニカーや演習玉ピストル、ラジコンなど、自分の好きなことをしてのびのびと遊んでいた。

 

  はっきりと「女子としての恰好」に違和感を覚えたのは、中学に入学する準備が始まった頃だ。私が通った中学校の制服は、男子は学ラン、女子はセーラー服だった。
 別に学ランが着たかったわけではないけれど、セーラー服はなんだかとても嫌だった。まずスカートを穿きたくないのはもちろんなのだが、まあそれはしょうがないとして――問題はあのスカーフと、着丈の短さと、ポケットのない作りだった。なんでこんな、高いところにあるものを取ろうと手を伸ばしたら胴回りが丸出しになるほどの短さなのか。ハンカチや手帳など所持するべきものに煩いくせに、何故ポケットが付いていないのか。男子は詰襟なのに、何故女子は鎖骨が見えるほど襟刳りが開いているのか。
 そんな感じでもやもやとしたまま、それでもしょうがないので私は毎日鬱々とした気分で、セーラー服を着て通学していた。ふつうの人たちには想像もできないだろう――この世には、ただ着ているだけでストレスが溜まり続けていく服があるのだ。

 さて、中学生にもなるとだんだんと体付きが変わってくる。私は生まれつき身体が大きいほうで、身長も小学五年で既に一五八センチくらいあった。中学二年になった頃、更に身長は伸び胸も膨らみ始め、ブラジャーというものが必要になったことに気付かされた。
 最初はブラトップというのか、胸の部分が分厚くなった短いタンクトップのようなもので済んでいたので、それほど不満はなかった。ところが私の身体の成長は早かった。三年生になった頃、私の胸は、体育のとき両腕をきゅっと締めて胸を支えていないと揺れてしまって走れないくらい、大きくなっていた。
 当然、おとながつけるようなまともなブラジャーが必要になる。抵抗はあったが、しょうがないので母と一緒にショッピングセンターの下着売り場へ行った。店員さんがきちんとサイズを測ってくれて、おすすめの商品をいくつか並べ、正しい付け方まで丁寧に教えてくれた。だが――ゴージャスなレースに彩られたカラフルで高価なそれらを前にして、私の気分はどんよりと沈んでいた。

 ――肩こりの原因でしかない、くそ重たい邪魔なものを収めておくのに、なんでこんなレースやリボンが必要なのか。しかもこんなものが一枚六千円もするなんて! 輸入盤なら三枚も買えるぞこんちくしょう……否。洗い替えも必要なのだから、一万二千円――えっ、ちょっと待って、ピグノーズのアンプ買えるんちゃう……?

 そんなことを考えながら、とりあえず必要なものはしょうがないので、いちばん地味なベージュのと水色のを買ってもらいはしたが、それらはほんの一ヶ月くらいしかつけることはなかった。通信販売でもっとカジュアルでシンプルな、しかも綿素材のものをみつけたからだ。値段だってずっと安かった――まあ、最初にかかったぶんは、プロにサイズを測ってもらった代金だと思っておくべきだろうと、そこだけは母と意見が一致した。通販のものはブラジャーだけでなく、お揃いのショーツも臍まである深いタイプだったので、私はすごく気に入っていた。当時、三枚千円とかでそのへんで買えるのは、ほとんどがハイレグタイプの派手なものだったのだが、私はそれが大嫌いだったのだ。通販バンザイ。
 ……とまあ、ブラジャーについて長く語ってしまったが、これはどうしたって私に必要なものだから避けられないのだ。つけなくて済むならそれに越したことはない。
 こんなことを云うと世の貧乳に悩む女性たちから睨まれそうだが、乳なんかでかくたって肩はこるし夏は汗疹ができるしうつ伏せで本を読むとき邪魔だし初対面の男の視線は絶対顔よりちょっと下にあるし、いいことなんかひとつもない。



 なんだかちょっと話が逸れた。普段着の話をしようと思う――自分で買う服を選ぶようになってから、私の恰好は決まってジーンズにスニーカー、メンズのTシャツやパーカーという、カジュアルなものになった。幸い、女はそういった男っぽい恰好をしていても別におかしくはないので、特に誰にもなにも云われなかった。だが十七、八という年頃になってもずっとそんなふうなままで、化粧にも興味を示さず恋愛する気配もない私に、さすがに母がぶつぶつと文句を云い始めた。
 家におるときはええけど、偶にどっか行くときくらいもうちょっとお洒落したらどや。そやな。私は素直にお洒落した――ヴィンテージのリーバイスにエンジニアブーツを履き、フェイクスエードのキャスケットをかぶってピアスをつけ、リブニットのタートルネックセーターライダースジャケットを着た。私にとって最高のお洒落だった。
 しかし母は、そうは思わなかったようだった。

 と、ここまで、まるで私の性自認が女ではないように書いているが、そうではない。
 私は自分が女であることをちゃんと知っていたし、そこに強い違和感を覚えたりもしてはいなかった。もっとも、女である所為で理不尽な思いをすることにはたびたび頭にきていたが。

 服装だけでなく、遊びや趣味など、ほとんどは一般的に「男の子向け」「男性に好まれる」とされるものが多いことは間違いない。ままごとより野球、人形遊びよりミニカー。ときめきトゥナイトよりもガンダム。にやにやしながら視てしまう映画は『アメリ』じゃなくて『ダイ・ハード』。ジャニーズなどのアイドルではなくローリングストーンズに熱を上げていたため女の子たちとはまったく話が合わなかったが、かといって男の子となら合うかというとそうでもなかったし、自分は実は中身だけ男なんじゃないかとかは思ったことがない。好きになるのも男の子だった。というか、女の子にまったく興味がなかった。



 ところで、私はバツイチなのだが、離婚後独り暮らしをしていたとき、二年ほどホステスの仕事をした。ママ以外にチーフと、三人ほどのホステスがいるよくある感じのスナックで、私はかつて母がしていたのと同じ仕事を始めたわけだ。

 ――がぶがぶ飲んだってそんなに売上はあがらへん、うちらの仕事は喋ってなんぼや。飲むんなら水割りやのうてウーロンハイかビールにしいや。飲むよりつまみを注文させなあかへん、自分の日当分くらいは売り上げあげなあかん。デュエット曲くらい一通り覚えて歌えるようにしときいや。話題に困る? 客の仕事を知っとくのと、新聞……それも日経とスポーツ紙と地方紙くらいは毎日目ぇ通しとくんが当たり前やで――

 それらは別に私が云われていた言葉ではないが、小さい頃から傍で何度も聞いていたことだった。だからだろうか、教わるまでもなくグラスを拭くのもタバコに火をつけるのも自然にでき、客あしらいも得意だった。バツイチとはいえまだ二十二歳と若かったおかげか、私はあっという間にその店の人気者になった。
 カラオケも、初めのうちはだめだろうなと洋楽は控えていたのだが、お客さんの趣味によっては“ホテル・カリフォルニア”や“ゲット・バック”などを歌ったりして、けっこう受けていた。ハードロック好きなお客さんがグループで来たときは、一緒にミスター・ビッグの“トゥ・ビー・ウィズ・ユー”を歌って盛りあがったこともある。自分でも天職かと思うくらい、水商売は楽しかったし、やりがいがあった。

 さて、ここで疑問に思われる方もいるだろう――ホステスとして仕事をするときの服装と、化粧である。

 もちろんちゃんと、いかにもな派手なスーツを着て、化粧もしていた。髪も明るめに染めてカールし、耳にはピアス――それまでつけていたクロムハーツっぽいやつじゃなく、アクアマリンやラピスラズリなどの可愛いやつ――もつけていた。アクセサリーは最初、ピアスしかつけていなかったのだが、お客さんがいろいろプレゼントしてくれるので、次第に頸にも手首にもつけるようになった。いちばんのお気に入りは18金の喜平チェーンのネックレスとブレスレットのセットだったが、重いので滅多につけなかった。
 そして短いタイトスカートにストッキング、ハイヒール。大きく開いた胸許からはちらりとキャミソールやブラジャーのレースを覗かせていた。あれほど邪魔に思っていた胸を、私はちゃっかりと武器にしたのだ。
 おもしろいことに、私はそれをまったく嫌だと思わなかった。むしろ、なんだか別人になったようで興奮していた。陽が落ちて、街が違う顔を見せ始める頃、私も普段とまったく違う貌になって仕事に向かう。完璧な「女装」をした私は、源氏名が表すように違う人間なのだと感じていた。不思議と話し方や仕草までが変わり、まるで昼と夜で、別の人生を行き来しているようだった。



 今はレディース、メンズなどとあまり意識はせずに、着心地のいいシンプルなものを好んで着ている。ボトムはやはり男女で体型が違うので、レディースのパンツやジーンズを穿く。靴も、コンバースなどのスニーカーはどっちでもいいが、トレッキングシューズやブーツなどはメンズだとごつすぎたりするので、レディースのものを履くことが多い。

 だがデザインはユニセックスなものばかりである。トップスは、普段着るのはメンズばかりだ。とはいえ、トライバル模様や横文字の入ったものなど、いかにもメンズ! なものは避けている。いい歳をしてする恰好じゃないことはわかっているし、まあ単純に趣味でもないし。
 私が好きなのは、綿などさらりと通気性が良い天然素材で、わしゃわしゃ洗濯機で洗えて、フリルだのレースだの余計なものがついてなくて、飾りでなくちゃんとスマホくらいは入るポケットの付いた服だ。そういう趣味だというだけだ。けれど、そういう服は何故かレディースにはなかなかない――やはり求められるものが違うということなのだろうか。
 ユニクロ無印良品などはかなりありがたい存在だが、それでもやはりメンズのほうを選んでしまう。胸の大きさがコンプレックスで、だぼーっと大きめのメンズの服を着るほうが落ち着くということもあるけれど、なんの飾りもないメンズと同じデザインのTシャツのように見えても、レディースは袖や着丈が短かったり、微妙にウエスト部分が絞られていたりして、気に入らないことが多いのだ。



 長々と誰も興味のないであろうことを綴ってきたが、こういう自分の……趣味? 嗜好? それとも指向? 在り方? について、インターネットでいろいろ知ることができるようになって、やっと答えが出たのはまだこの数年のことだ。
 LGBTなど、そういった類のことがあちこちで語られるようになって久しい。それらが更に細分化されたり、結局はグラデーションでそれぞれ少しずつ違うものなのだから、きっちり区別できるものではない、など、一周した感があるが、そのグラデーションの端っこにトランスヴェスタイトクロスドレッサーというのがある。
 クロスドレッサーというのは、社会的に求められている服装や言葉遣い、役割などに抵抗感のあるセクシュアリティのことである。性自認や性指向はシスジェンダーヘテロセクシュアルと同じなのだが、性表現のみが違うわけだ。だから実際の性とは違う恰好、つまり異性装をする。

 それを知ったとき、やっと確信が持てた――私は、クロスドレッサーだ。

 異性装をするセクシュアリティにはもうひとつ、トランスヴェスタイトというのがある。こちらは異性装をすることによって性的興奮を覚えるもの、とされているそうだ。自分がクロスドレッサーであることを確信し、更にその部分を読んだとき、私はスナックに勤めていて「女装」していたときのことを思いだした。性的興奮とまでは思わないが、ある種の快感には近かったように思う。

 つまり、あれは私にとってはやはり異性装のようなものだったのだろう。普段の恰好とは逆の性を装っていたわけなのだから。コスプレをして、別人になりきっている自分を視てもらう快感にも近いかもしれない。ふざけてさあ、女装すっかーなどと云っていたのは、強ち間違ってもいなかったわけだ。

 
        * * *

 子供の頃のアルバムをしまう。その箱の隅には現像したときの封筒に入ったままの写真がある。その中から数枚出してみる――白と黒のツートンカラーに金色の刺繍が入った、なんとも派手なスーツを着た私がいる。
 薄暗い店内で、ファンデーションを塗った顔をフラッシュが照らしてるものだから、私のばっちりと化粧した顔は白く浮いている。でも、なかなか美人だ。ただ、自分だとは思えない。この姿を褒められても、本来の自分ではないからそれほど嬉しくはない。当時、その恰好をしているときの自分はもちろん、得意げに喜んでみせたけれど。

 さて、どう〆ようかと考えながらここまで書いてきて、思った――これが自分だ、と思えるところを見てもらいたいのって、文字ぎっしりで一般受けしないロックバンドものなんか書いてるのと、まったく代わり映えしないな。うん。