碧柘榴庵

-aozakuro an- ロックと映画と猫を愛する文字書きのブログです。

チャーリー・ワッツの訃報を聞いて

 八月二十四日。ローリングストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツがロンドンの病院で亡くなった。八十歳だった。

 ローリングストーンズは一九六三年にチャック・ベリーのカバー〝カム・オン〟でデビューした、もう半世紀と八年も活動し続けている超長寿バンドである。メンバーの死や脱退はあったが、これまで一度も解散・再結成や活動休止などもなく、ずっとアルバムのリリースとツアーを精力的に続けてきた、モンスターバンドだ。
 幼馴染であるヴォーカルのミック・ジャガーとギターのキース・リチャーズは、共に一九四三年生まれで今年七十八歳になるが、八十歳のチャーリーも含め当たり前のように来月から全米ツアーの予定がたてられていた。が、チャーリーは手術後の休息と回復のためにそのツアーには参加しないと発表があったばかりだった。

 よく知ったミュージシャンの名前をニュースの見出しにみつけ、それが訃報であることはだんだんと増えてきたように思う。しょうがない。私が大好きなロック創世記に活躍したミュージシャンたちは、もう皆いつ逝ってもおかしくはない年齢なのだから。思えば去年も今年も、偉大なミュージシャン、アーティストたちが何人も旅立っていった。フィル・スペクター、ティム・ボガード、ジェリー・マースデン、スペンサー・デイヴィス、リトル・リチャード、ビル・リーフリン……二〇一九年十月には、大好きなジンジャー・ベイカーまでもが逝ってしまった。

 だから、そろそろああ、またかと慣れていたところはあると思う。あるはずだ。チャーリーがツアーに不参加と聞いて、代役のスティーヴ・ジョーダンに不満はまったく無いけれど、でもやっぱりチャーリーじゃないとストーンズサウンドじゃないよなあ、もうさすがに歳なんだから全米ツアーなんてしなくても……とも思っていた。実際三年ほど前にはキースがチャーリーの引退について話していたし、次こそ最後のツアーになるかもしれないとキースが云っている記事も、確か二度ほど読んだ。
 うん、さすがのストーンズだけどもういいよ。もう曾孫までいるんだからゆっくり過ごせばいいじゃん。ライヴなら偶に、程々の大きさのところでブルースとか演ってほしいなあ。昔マディ・ウォーターズとやったみたいに。そんなふうに思っていた。
 けれどチャーリーの訃報を聞いて、私は思っていた以上にショックを受けている自分に、ショックを受けた。
 たぶん、それはチャーリーが逝ってしまったということ以上に、これでもうローリングストーンズも終わりだ、と感じたからだと思う。

 以前、何度かキースが云っていた。ストーンズはミックとキースだと思っている奴が多いだろうが、実はストーンズの要はチャーリーだと。チャーリーなくしてストーンズはありえない。あのハイハットを抜いた、独特な間というかハネの生まれる誰にも真似できないグルーヴ感。あのチャーリーのドラムでなければ、そこにキースのギターとミックの声が乗らなければ、ストーンズの音じゃない。

 イアン・スチュアートのときも、正式メンバーではないとはいえ実質的にはオリジナルメンバー(ルックスがいまいちという理由でマネージャーのアンドリュー・オールダムにメンバーから外されたが、ローディやサポートピアニストとしてバンドにずっと寄り添い続けた)で、なにか大きなものが欠けた感覚があった。ブライアン・ジョーンズが死んだときはまだ私は生まれてさえいなかったから別として、ビル・ワイマンが脱退したときはそうショックでもなかった。アルバムの曲の半分も弾いていないときもあったし、そんなに存在を大きく感じなかったからだろう……でも、あとからやっぱりビルがよかったなと思ったりはした。
 他に、サポートミュージシャンではあるがボビー・キーズが亡くなったと知ったときもけっこうショックだった。ボビー・キーズはあの〝ブラウン・シュガー〟のサックスを吹いている人である。ボビーはなんというか、ストーンズがいちばんやんちゃだった時代にキースとつるんでた人、という印象が強いのだ。もちろん奏者としても素晴らしく、あのバディ・ホリーのバックで演奏したこともあるそうだ。

 そんなふうに、ストーンズ関連だけでももう何人もの人物がステージから姿を消している。それでも「A rolling stone gathers no moss.」、転石苔むさずとばかりにストーンズはずっとロック界の頂点を走り続けてきた。健康オタクのミックは相変わらずステージの端から端まで跳ね回り、キースはあの奇妙なフォームで五弦ギターを掻き鳴らす。ミックは心臓弁置換術のあと無事に復活し、ロン・ウッドも二度めの癌闘病に打ち勝った。『次にドラッグで死にそうな有名人』ランキングで連続一位だったキースまでが、今ではとうとう酒も煙草もやめて正真正銘のクリーンライフを送っている。
 そんななか、まさかチャーリーが逝くなんて、考えたこともなかったのだ。

 キースは云った。チャーリーがいなくてはストーンズは成り立たない。私もそう思う。否、ストーンズファンならみんなそれを知っている。あの独特なグルーヴは誰にも真似できないし、チャーリー以外の誰も、本気でミックと喧嘩して殴ったりなんかできない。キースが絶大な信頼を寄せる相手もチャーリー以外にはいない。ミックとキースについていちばんよく知っているのもチャーリーだ。ミックとキースが大喧嘩をしているとき、チャーリーは決してふたりのあいだに入ってはいけないと云った。喧嘩を止めようとあいだに入れば、ふたりはタッグを組んで矛先を変えてくるから、だそうだ。天下のグリマーツインズの喧嘩を、まるで猫の喧嘩かなにかのように見ていられるのもチャーリーだけだ。
 チャーリーのドラム、キースのギター、ミックのヴォーカル。そのどれが欠けても、もうローリングストーンズは成立しない。

 既にチケットは完売しているようだし、チャーリー自身が望んだことだから、来月からのツアーは予定通りスティーヴ・ジョーダンのドラムで行われるのだろう。チャーリーの追悼ツアーだ。
 だけど、もうそれはローリングストーンズじゃない。一九八八年に行われたミックの初来日のときのライヴのように、ストーンズっぽいなにか、でしかない。

 寂しい。でも、もうじゅうぶん楽しませてもらった。まだまだ五十年前に作られたアルバムに飽きることはないし、私はこれからもストーンズを聴き続けるだろう。
 ありがとうチャーリー、どうか安らかに。長い間、本当にお疲れさまでした。