碧柘榴庵

-aozakuro an- ロックと映画と猫を愛する文字書きのブログです。

学校について思うこと

 悲しいニュースがあった。小学一年の児童が、給食に出たうずらの卵を喉に詰まらせ死亡したという。続報やSNSなどでは、今後うずらの卵を給食に出すのを控えようとか、よく噛んで食べる指導も含めての食育ではないかとかいろいろな意見が飛び交っている。そもそも給食時間が短すぎるとか、早く外に出て遊びたいばかりに早食いをする子供も多いとか。
 そんなニュースや記事などを読んでいて、ふと自分の小学生の頃のことを思いだした。気分の滅入るニュースで頭を過るのは、もちろん厭な想い出だ。

 

 私は子供の頃、食べ物の好き嫌いが多かった。そのうえ、両親が居酒屋のような店をやっていたこともあって、幼い頃から口が肥えていた。好物は、と訊かれてハンバーグ、カレー、オムライスと周りの子供が答えるなかで、はたはたの焼いたん、砂肝の塩焼き、牛すじ煮込み、揚げ出し豆腐と答える子供だったのだ。
 オムライスは偶に作ってもらって食べることもあり、好物だったけれど。私にとってハンバーグはレストランで食べるものであり、シチューは給食で出てくるどろどろとした気持ち悪いものでしかなかった。

 最近はよくなっているかもしれないが、私が小学生だった頃の給食は、どこかにある給食センターからトラックで運ばれてくる、すっかり冷めた不味いものだった。皿もアルマイト製の銀色のトレー一枚で、パンとおかず大、おかず小とくぼみが三つ作られていて、味気なかった。それと牛乳。パン用にマーガリン。焼いてもいないぱさぱさの食パンには塗りづらく、固まってしまって食べると気持ち悪かった覚えがある。
 班ごとに給食当番がまわってきて、生徒が配膳をするのは今も同じだろう。さて、好き嫌いは直すべきものという意見が多いのではと思うが、それでもどうしても苦手で食べられないものというのはある。その食材が食べられないわけではないが、この調理法だと苦手、という場合もあるだろう。食べる量にも個人差があるし、食べる速さもそれぞれである。子供なら尚更。
 限られた給食時間のなかで食べ終えなければならないとき、なるべく苦手なものを入れないでほしい、もうちょっと少なくしてほしいと、利口な子供なら云うはずだと思う。が、そういった希望は、今の時代は聞き入れられるのだろうか。
 聞き入れられているといいなと、時代がちゃんと変わっていることを祈る。私の時代、私の行っていた学校では、それが通らなかったから。

 

 背の順でいちばん後ろの男子も、いちばん小柄な女子も。配膳の列に並べばみんな同じ量をトレーに入れられる。私は給食でなにが出てもぜんぶ食べられない子供だったので、毎日の給食の時間は憂鬱でしょうがなかった。給食の献立表に書いてあるのが八宝菜であってもシチューであっても、見た目はほとんど同じ。私にはどろどろの不味そうなものにしか見えなかった。
 渋々口にしてみても実際、美味しいとは思わなかった。たぶん冷めていた所為だ。それと、私がシチューという料理を食べたことがなかった所為。八宝菜なら食べたことがあったが、給食でのそれは百貨店の七階にある中国料理レストランで食べたのとは、まったく違うものだった。
 給食では私の食べ慣れた、よく知っている料理はほとんど出ることがなかった。親子丼とかが食べたいのに、そもそもご飯が出ない。パンは焼いてないし、卵が挟まってもいない。にしんと茄子の炊いたんや、いかと里芋の炊いたんなんて出てこない。
 スパゲッティでさえマンションの一階にある喫茶店で食べるのとぜんぜん違っていて、私はショックを受けた。なんやのこれ、こんなん知らんわ、こんなもん食べれへん。
 そして、二年生になっても四年生になっても、給食はあまり食べられず苦手なままだった。しかし、学年が進むとそれに対して厳しいことを云われ始めるようになる。みんな食べてるんやから。作った人に感謝して、残すのは悪いことやから。なら、と私は食べられないものはもらわないようにしようとしたのだが、それは叶わなかった。
 完食など一度もできないまま、私は六年生になった。そして『残すのはいけないこと』なので、給食の時間が終わっても私のトレーだけ回収されないのが、いつしか慣習になった。
 給食の時間が終わって五時間目、六時間目が始まっても。授業参観日で、後ろに誰かのお父さんとお母さんが大勢いても。食べられずに残った給食のトレーが、いつまでも机に置かれたままそこにあった。
 ずっとあとから思ったのだが、このときうちの母が欠席の届けを出していなければ、この日だけは片付けられていたのだろう。

 給食のあとは掃除の時間だった。給食を前にぽつんと坐っていると、さぼらんと掃除してーと云われる。さぼるつもりはないので掃除はきちんとするが、そのあいだ、給食にはなにも掛けられたりなどしない。私はそもそも食べる気が毛頭なく、他の誰かも掃除のあいだ埃をかぶるとか、そんなことはまったく気にしたりしなかった。給食の置かれた机の横で窓を全開にし、黒板消しをばんばんと叩く。
 そして昼休みが終わって五時間目。担任の教師が云う。なんや、まだ食べてへんのんか。早よ食べな授業できひんで。
 たぶん、この頃だったろうと思う――私が教師や学校というものを信じなくなったのは。食べられるわけがない。こんなになるまで食べなかったことを責められるならわかる。しかし、早く食べろ、授業ができないと云われるのはなにか違うと思った。
 教師がそんなことを云うと、他の生徒はまるで強い味方を得たような気分になるのだろう。食・べ・ろ・! 食・べ・ろ・! とシュプレヒコールが始まった。教師はなにも云わず、腕を組んで私をじっと見ている。ふつうなら、もうここで泣くのではないかと思う。しかし私は負けん気が強かった。四面楚歌な状況でさすがにじわりときていた私は、涙が溢れる前にトレーを取り、力いっぱい床に叩きつけた。
 こんなん食えるわけあらへんやろ! 病気になるわボケ! 私はそう怒鳴ってクラス全員を決定的に敵にまわし、教師にはくどくどと叱られた。床の掃除もさせられた――まあ、これは当然だが。
 だが、どうすれば二度とそんなことにならないかという話し合いや、相談などはまったくなかった。あの教師にとって教育とは、食べなければいけないものを皆と同じに食べさせることであり、生徒と話しあって問題の解決策を考えることではなかったのだろう。しかも授業よりも、給食を完食することのほうが大事だったらしい。
 それから毎日、私の机には下校時刻まで給食のトレーがあるのが、当たり前になった。

 毎日毎日、月曜から金曜まで。下校のチャイムが鳴るまでぽつんと給食を前にひとり残っている私のために、担任の教師は自分も教室にいなければならなくなった。
 それが煩わしかったのだろう。ある日、その教師は下校時刻を過ぎてから、食べるまで帰ってはいけないと云いだした。一度嫌々でも食べさせれば、次から時間が経たないうちに食べるようになると思ったのかもしれない。しかし埃をかぶりまくったうえ、冷えて固まったものを食べられるわけがない。口にするのを想像しただけで吐きそうだった。私は押し黙ったまま、ずっと椅子に坐っていた。
 教師はテストの採点か、ノートのチェックかなにかをしていて、ただそこにいるだけの状態だった。私は早く帰りたかったけれど、根比べなら負けない。先生もそのうち帰るんだから、それまでの辛抱だ、と思っていた。
 そうして、一時間ほどが経った頃だろうか。廊下で「待って! おかあさん待ってください……!」と声がした。なんやろ、と思っていると、教室の扉ががらっと開き、母が駆けこんできた。おかあちゃん? と私が驚くと、母は目を瞠って待ってと止めていた女性教師と、教室にいた担任の教師に向かって怒鳴りつけた。
「おるやないか!! 誰やさっき電話でもう帰った云うたの! あんたか! 仮にも先生と名のつくもんが嘘ついてええ思てんのか! しかも子供のことやで!? うちの娘は寄り道なんかしたことない、いっつもお腹空いたー云うて真っ直ぐ帰ってきて、自分の好きな本ばっかし読んでる子ぉや! あんたらおるかおらんか確認もせんと、どっか友達んとこでも寄ったはるんちゃいますかって、よぉ云うたな!! しかも待て云うて引き止めて、隠す気やったんやないか!」
 帰宅してからじっくりと話を聞いたが、母は私がいつもの時間に帰ってこないことを心配し、学校に問い合わせの電話をかけたそうだ。すると女性教師が電話に出て、担任はもう帰って職員室にはいない、生徒ももう下校時刻を過ぎているのでひとりも残っていないと云ったそうだ。そして、一応見てきてくれと云った母に、寄り道をしているのでは、と。
 なのに、学校に来てみたらぽつんと私がいたわけだ。しかも、机には手もつけられず埃をかぶった給食。
「なんやこれ、食べられへんからって残されてたんか?」
「おかあさん、これはですね、みんなきちんと毎日食べてるのに、烏丸さんだけ食べられへんのはあかんから――」
「好き嫌い多いのはあかんけど、せやったら先生、おたくこれ食べれます? 給食て十二時ちゃうの、もう何時間経ってますのん。ラップもなんもしてへん、埃だらけですやんか」
「いやね、そうなんですけど、それを烏丸さんにそうなったんは自分が食べへんさかいやって、反省――」
「反省さすために子供の親に嘘ついて、おらんって云わはったん? 親が子供のことどんだけ心配するかわからはらへんの、しかもこんな遅ぉまで、男の先生とふたりっきりで教室におるんってどないですのん」
「えっ、いや、そんなこと云わはりましても」
「もうええわ。なに云うてもろうたかて、あんたらが嘘ついたんは間違いないねや」
 そう云って母は私の荷物をまとめ、手をとった。「帰るで千弦。明日から、もうこんな学校来んでええさかいな」
 母はそう云って、私を連れて教室を後にした。

 とまあ、こんなことがあったわけだが――その後、私は母の云うとおり学校には行かず、立派な登校拒否児童となった。
 担任やあの場にいた女性教師と教頭、校長揃い踏みで家に謝罪に来たような憶えもあるが、あのまま学校へ行けと云われていないということは、母は納得しなかったのだろう。そして私は給食のことがなくても元々学校嫌いだったため、ラッキーくらいにしか感じていなかった。午前中から本が読める! くらいのことでしかなかったのだ。
 しかし問題があった。小学校は残り七ヶ月ほどだったからもういいとして、まだ中学校も義務教育だ。そこで、母は給食のない学校行ったらええんちゃう? と云いだした。でもそんな学校は近くにはなかった。
 いちおう、学校に行かない代わりにということで塾に通い、中学受験をすることにした。塾ではいい成績で、充分ええとこ狙えますよと云われて模擬試験に行ったところが、希望するお弁当持ちの学校だった。制服もブレザーで、下はスカートだったが、セーラー服よりはましだと私も乗り気だった。
 だが。電車を乗り継いで模擬試験を受けに行った私は、すっかりやる気をなくした。――遠い。朝は早いし、電車を乗り継ぐのが面倒臭い。これを毎日。しかも往復。
 ……ごめん、無理。
 合格確実の点数を叩きだしておきながら、私は歩いて通える公立の中学校へ進んだ。もちろん、給食制だった。
 小学校よりましなのが出てくるかも、という淡い期待は裏切られた。皿が分かれている以外、出てくるものはほとんど同じだった。しかもセーラー服。楽しみにしていた英語の授業では、当てられて教科書を読んだらみんなに笑われた。カセットテープのインデックスカードに曲名を書くことで書き慣れた私のアルファベットはダメ出しされ、棒と丸で構成された手本どおりの字を書けと注意された。駄目押しに、先生が英語を喋れないと知ってショックを受けた。
 そしてやっぱり、給食でこれは要らない、これは少なめで、という希望は聞いてもらえなかった。
 そんなこんなで、私は引き続き、登校拒否児童になった。出席日数稼ぎのために保健室登校はしたけれど、教室で授業を受けたことは数えるほどしかない。

 

 途中から話が逸れてしまったが、そういう経緯があって、私は学校というものに懐疑的である。もちろん良い学校も、素晴らしい先生もたくさん存在はするのだろうが、残念ながら私はそれに恵まれてこなかった。

 今日、ネットで見たニュースのなかで、一昨年の五月、小学一年の児童が遠足で熱中症になったとして、児童の両親が市を提訴したという記事があった。
 児童の母親は、子供の体力に不安があったため、遠足の不参加も考えていたそうだ。だがこれも経験と教諭に勧められ、水筒のお茶がなくなったときのために、お金を持たせるのでお茶がなくなったら買って与えてくれと事前に学校側に頼んだという。
 体力に不安があるため、大きな重い水筒を持たせるのを避けたのであろうことは容易に察せられる。子供でも暑いときならあっという間に一リットルくらい飲んでしまうのではと思うが、一年生の子に一リットルの水筒をぶら下げて歩けというのはかなり酷だ。皆だいたい5~600ml くらいのものを持っていると思う。
 しかし、やはりそれでは足りなかったのだろう。児童は教諭に頼んだが、飲み物を買ってはもらえなかったという。しんどいと云ったら迎えに行くと母親が事前に伝えていたにも拘わらず、児童が「ママを呼んでください」と訴えても連絡すらされず、児童は熱中症で救急搬送されたそうだ。
 きちんと子供のことを考えて行動している、立派なお母さんだと思う。お子さんのほうも云うべきことをきちんと云えて、とてもしっかりした子だと感心する。なのに学校は、この教諭はなんだろう。

 冒頭に書いたうずらの卵の件に関しては、児童も教諭も悪くはないのだと思う。そしてうずらの卵の提供を考えようというのも違うと思うのだ。ちゃんと見ていたって喉に詰まらせるときは詰まらせるし、どんなに云って聞かせても早食いしてしまうことはなくならないだろう。子供なんてそんなものだ。
 それでも、よく噛んで、ゆっくりと味わって食べよう、と指導することが大事だし、食べられない子にはなぜ食べられないのか、どうしたら空腹状態でなく午後の授業が受けられるのかを考えてほしいと思う。給食に限ったことではないが、学校には個人差というものをもっと当たり前に受けとめてほしい。
 あとは、どうしてもゼロにならないリスクに対して、きちんと備えることだと思う。避難訓練やAED講習と同じく、気管に異物が詰まった場合のハイムリック法も定期的に訓練が必要だ。今回のニュースでは “背中を叩くなど” とあっただけで適切な処置が為されていたかどうかわからないが、こんな結果になってしまって本当に残念だ。
 他にできることといえば、やはり時間に余裕をもたせることだと思う。給食を十五分かそこらで慌てて食べなければいけないとしたら、それは予定の組み方が間違っている。

 なにがいちばん大切なことか、まもるべきはなんなのか。
 惰性で思考停止しているのはもうやめて、学校にはきちんと考えてほしい。





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