碧柘榴庵

-aozakuro an- ロックと映画と猫を愛する文字書きのブログです。

うちのお嬢さん。

 うちのお嬢さんは、ちょっと変わっている。

 ものすごく甘えん坊で寂しがり屋で、常に誰かの傍に居たがるくせに、決して抱っこはさせてくれない。撫でろ、くーしくーししろ、尻尾の付け根を叩けとだけ要求する。そういうコはまあ少なくはないのだろうが、うちのお嬢さんの場合膝にも上がってきてくれない。というか、高所恐怖症なのかもしれない。猫にもそんなものがあるのかどうか知らないが、うちのお嬢さんは椅子の上やテーブルやテレビ台の上とか、そういう高いところにはまったく上がったことがない。
 もともと野良さんで、まだおとなにならない頃は家の屋根でみゃーみゃーとよく喚いていた。庭に生えている木を伝って屋根に上がったはいいものの、降りる術がわからず困り果てていたらしい。こっち、こっちから降りるんだよと何度も誘導してやった覚えがある。

  初めにその白黒模様を見たのはたぶん春か、初夏の頃だった。肉球が焼けるのではないかと思うほどの暑い夏には、草が生い茂る庭で寝転がっているのを見てお水を置くようになり、秋には毎日ごはんを食べにくるようになった。雪の積もる厳しい冬が来て暖かい部屋に入れてやったりしているうちに、屋根から降りられなかった不器用な野良さんはいつの間にか、うちの末娘になっていた。

 初めのうち、お嬢さんは押し入れの前に置かれていた箪笥の後ろに入っていったきり出てこなかった。部屋の片隅にお水とごはんを置いてやり、そのまま気にせず放っておくと、知らないうちに家の中を探検しチェックを済ませたらしく、だんだんと動き回るようになった。箪笥の後ろに置いていた座布団を箪笥の横まで移動し、寒くないようにフリースのハーフケットを敷いた。その周りにはパソコンを置いているデスクや、椅子や、本棚に箪笥、テーブルにソファとたくさんの家具があったが、お嬢さんは家の中ではまったく、高いところに上がろうとしたことがなかった。
 その頃住んでいた家は畳と床板を捲ると土が見えているような作りで、足許からすぅっと冷えて寒かった。ある日、通販の荷物かなにかが届いたときの段ボール箱を畳まずそのままにして、喜んで中に入るかなとわくわくしながら見ていた。が、お嬢さんは興味は示したものの、中に入ろうとはしなかった。
 箱とみれば中に入ろうとするイキモノだと思っていた私は、意外な結果に少し残念な気になった。

 お嬢さんは小食なのか、ごはんをあげたとき一気に食べず、少し食べては離れ、またしばらくしてから一口食べる、というタイプだった。なので、カリカリは常に皿に入った状態で、偶に缶のごはんと好物のかつお節をあげる、というやりかたにしていた。が、お嬢さんは、かつお節には目が無いものの、缶のごはんはあまり好きではないみたいだった。
 私たちのごはんには興味があるようで、食事中じっと傍で見つめてくるので、欲しいのかな? と思い、焼き魚や鶏や刺身など、支障がなさそうなものを少しあげてみたこともある。が、お嬢さんはいつも匂いだけチェックして、食べずに「なんだこんなもんか」という態度で去っていく。まぐろの刺身を前にしてにゃんだその態度わぁぁ? と思わず皿をひっくり返しそうになったこともあるが、要らないというならしょうがない。あーあもったいない、と思いながらも、なに食ってるにゃチェックはお嬢さんにとって大事な日課らしく、私は好物のうなぎであっても、泣く泣く一センチ角程度を箸で割りとって小皿の上に置いてやる。食べてもらえもしないのに。

 高いところに興味がないお嬢さんは、お布団が大好きだ。
 スイッチが入っていると熱すぎるのか、それとも誰かの足が臭いのか、先客がいる炬燵には入らない。寝る前など、スイッチを切ったあとはいどうぞと云って布団を捲ってやると、やれやれやっと空いたかといった態度で中へ入っていく。が、朝目が覚めると冷えてしまった炬燵の中には居ず、積んである座布団と座布団のあいだに潜り込んで寝ている。
 前述したように冬、冷え込む家の中、至る所で丸くなって眠っているお嬢さんを見るたびに、私はそっと毛布や、その辺に脱ぎっぱなしだったスウェットのパーカーなどを掛けてやっていた。そうしているうちに、どうやらお嬢さんは布団に潜って眠る心地良さを覚えてしまったらしい――今では、ふかふかな場所だけでは足りず、掛け布団がないと眠れないコになった。
 今は寒い雪国から引っ越して、気候の良いところで密閉性の高いマンション住まいをしているのだが、どうやらお布団で眠る習慣は抜けないようだ。お嬢さんは冬は当たり前のように、夏はエアコンの風を避けるようにして、相変わらずお布団のあいだに潜り込んでいる。

 膝には上がってきてくれず、抱っこも嫌いなお嬢さんだが、最近やっと私の布団の中に潜ってきてくれるようになった。
 静かな暗い部屋で、ぐるぐると喉を鳴らす音が間近で聞こえる。よしよしと布団の中で撫でてやる。温かい。柔らかい。幸せなひととき。お嬢さんを何度も何度も撫でながら、私のほうが寝かしつけられているような心地になる。

 たぶん、お嬢さんはただ生きているから、毎日飲んで食べて、眠って、そこに在るだけでなにも考えたりはしないのだろう。だが、この小さいけれど家の中でいちばん大きな存在は、確実に私を何度も救い、癒やし、支えとなってくれている。

 小柄でほっそりしていた躯も、今ではどっしりと貫禄がついた。屋根の上で心細そうに鳴いていたあの頃から、もういったい何年の時が過ぎたのだろう。あと何年、一緒にいられるだろう? 確実に近づいているそのときを思い、私は今日も抱っこさせてくれないケチなお嬢さんを撫で、くーしくーししてあげ――否。させてもらっている。