碧柘榴庵

-aozakuro an- ロックと映画と猫を愛する文字書きのブログです。

あるくゆめ

 子供の頃から、よくみる夢があった。
 といっても、まったく同じ内容の夢を何度もみるわけではない。ただ、いくつか共通する点があるというか、たぶん場所が違っているだけだ。
 夢に出てくるのは知らない道、知らない街、どこまでも続く知らない景色。そんなところで、私は独り、なにかを探すように、ただ歩いている。
 夢の中の私は、その場所になんとなく憶えがあるような気がしていることもある。けれど、目覚めてから思い返してみると、やはり知らない土地だと感じる――ほんの一部だけ、知っているところに模しているような。


 起きてからも、私は夢をしっかり憶えていることが多い。夢をそのまま憶えているのか、夢と現の狭間で、目覚めて忘れる前に記憶に焼きつけたものを憶えているだけなのかはわからない。
 でも、たぶん後者だ。幼い頃の記憶と同じだ。三歳の頃の記憶はさすがにないと思うが、十五歳の頃に“八歳のときに三歳の頃のことを思いだしていた”ことを思いかえしていたのは憶えているという、ややこしい劣化コピーのようなものだ。

 夢の中はたいてい夕方過ぎか夜か、明け方のまだ薄暗い時間帯だ。朝とか昼とか、太陽の出ている時間を好まない私の夢だから、とってもらしいと我ながら思う。
 その儚い世界を、私は独り歩いている。思うように足が進まないこともある。大好きな人がそこにいて、近づきたいのにまったく近づけなかったこともある。逆に、なにか気味の悪いものに尾けられて必死に逃げ道を探したことも。
 迷いこんだ、古民家だったらしい廃墟の中を進み、襖、押入れ、天袋や納戸など、どこを開けても死体が出てきたこともある。他殺体だったかどうかは判然としない――ひょっとするとシューティングギャラリーの日本版のような場所だったのかもしれない。死体はぜんぶで二十体以上はあったろうか。
 あの夢はいったいなんだったのかと今でも思う。おもしろいのは、夢の中の私はまったく怖がったり動じたりしていなかったことだ。ミステリの読み過ぎだったのかもしれない。他殺体でなかったとしても、そこへ遺棄した者はいるわけで、私は果たして探偵、犯人のどちらだったのだろう。

 真夜中の国道のようなところで、車に轢かれたこともある。私はなぜか道の真ん中を歩いていて、近づいてくる車のライトに気づいた。あ、轢かれる。夢の中ではっきりとそう思い、死を悟ったのを憶えている。避けようにも間に合わないと判り、猛スピードで突っ込んできた車と躰が接触したその刹那、映画のフィルムが切れたみたいに真っ黒になったことを憶えている。撥ねられて飛ばされたりとか、痛いとか死ぬのだろうかとか、その後がなにもなかったことを憶えている。
 あのとき、夢の中で私は確かに死んだのだ。


 まあ、そんなホラーのような展開は稀で、ほとんどはただ歩いているだけの夢だった。
 まっすぐに続く地方の国道のようだったり、繁華街の路地だったり、山の中だったり住宅街だったり。ポルタのような、駅と繋がった地下街のこともあった。そのときどきで背景はいろいろだったけれど、夢の中の私はいつもひたすら歩いて、歩いて、必死に何処かへ辿り着こうとしていた。知らないところなのに、何故か行くべき道は知っているみたいだった。行かなきゃ。行かなきゃ。
 何処を目指していたんだろうか。なににあんなに急き立てられていたんだろうか。

 

        * * *

 

 最近……たぶん、この三年くらい、あの夢をみなくなった。
 否、ひょっとしたらみているのかもしれない。けれど、起きたときの私はまったくそれを憶えていない。記憶に残っていなければ、それはなかったことと同じだ。共有する相手もいない、私だけのものなのだから。
 でもやっぱり、みていないんだろうな、と思う。偶々かもしれないが、ちょうど小説を書き始めてからみなくなってきた気がするからだ。

 小説の世界というもうひとつの夢の中に、私は好きなものを好きなだけ詰め込んで、その世界で生きていくキャラクターを創りだした。シリーズの主要なキャラたちにはそれぞれ、私の一部が少しずつ反映されている。それは、好むと好まざるとにかかわらずそうなった。たぶん、自分の中にないものを生みだすのは難しいからだろう。
 キャラたちは私の代わりにその世界で、なにかを目指してひたすら歩いてくれている。だから、私はたぶんもうあの夢はみない。みられない。
 少し残念に思う。どうせなら、キャラたちのいる世界の夢をみて、その中で私も一緒になにかしたいからだ。けれど、そんなことがもしできたら愉しすぎて、二度と目覚めないんじゃないかとも思う。自分でコントロールできることなら、目覚めないほうを選択するかもしれない。

 なんだかちょっと暗くなってしまった。というより、病んでる人が書いたみたいな文章だなと自分で思った。
 現実に夢をみるほど若くはなくなったし、夢を現実にできるようなご時世でもないし。せめて文章の中の世界でくらい、思いきり楽しめるようにしたいものだ。
 今はシリーズではない短篇集に集中していて、これは息抜きのように書き始めたものだが、今、ふと思った。

 ああ、またプラハやロンドンを、ルカやテディたちの物語を書きたい。